ファッションヌードシアター
人生初のロック座に行ってきた!
初めてのことって、飛び込むの勇気いるけど、行って良かった!
ファッションヌードシアター、って名称なのも初めて知った。まぁ、ちょーカタカナ英語なんだと思うけど、なんかうまい表現だなぁ、と妙に納得してしまった。ヌードシアターにファッションが付くことで、ストリップってただ女の人が脱ぐだけの場所じゃない、ということを広い意味で説明できているような気がする。
なんでそうゆう名称を付けたか、は調べてないから、私の勝手な見解なんだけど、ファッション、っていう言葉ってね、着てるものや身につけているものやいわゆる外見、に使われることが多いと思うのだけど、「生き方」という意味もあるのね。
実際、見たから分かることだけど、踊り子さんたちの「生き方」というのが、薄い布越しのありのままのその人の姿から、うっすらだけど伝わってきた気がしたんだ。
究極のファッションって、裸でいることかもしれない、と思ってしまうほどだった。ほっんとうに美しかった。と言うか、みんな自分の魅せ方を知っている。
途中ですっと涙が溢れた。感動して涙出た、っていうことで終わらせられる感情なのかは分からないけど、なぜか分からないけど、右眼からだけ、涙がこぼれ落ちたんだ。
やっぱり、魂がこもったものって、心の奥の部分に直接響いてくるんだな、って思った。
あと、面白いな、と思ったのは、メインの踊り子さんの順番を表すのに、1番目、2番目、とかではなく、1景、2景、という表現をすること。確かに、がらっと景色が変わったもんな〜。
あ、そして、なんと言っても、「令和発」のブログでちらっと書いた、まだお会いしたことない方、にも、お会いできました!
と、ブログに集中しすぎていたら、降りる駅間違えた…。
令和発
令和初、ではなく、令和発。
令和初、とか、そんなメモリアルなことには、正直あまり興味はない。
5月1日、それは、私にとっては、特段何か想い出に刻んでおかなければならない日、ということでは決してない。きっとまた、令和が終わる頃には、また、令和振り返りのテレビ番組が世の中にはあふれ、思い出そうとしなくても、思い返されるものだと思うから。
まぁ、前置きが長くなったが、そんな冷めた私でも、元号変更は、後から振り返った時には、何らかの節目であった、となるのだろう、と感じている。
ということで、何かちょっとだけ、行動を起こそう、という気持ちになったのだ。それが、ブログ。ただただ、自分の気持ちを書き記して行く、それが目的。
もともと、幼少の頃から、文章を書くのは好きだった。でも、いつしか、自分主体の文章を書くことをしなくなっていた。仕事ではいかに、事実を述べるか、が求められるし、自分の感じたことを盛り込むと、正しい事象が伝わらないことが多い。まぁ、仕事とは別の場所で、何か書く、ということは、今の時代、いろんなツールがあるし、その行為自体、ハードルが高いものではないのだけど、なんとなく避けていた。
「文章を書くのが好き」。でも、それは、イコール楽しい、とはならないからだ。書きながら、自分の奥底の気持ちまで潜り込んでしまう。そして、なんとなく、で過ごせてた部分も、明るみに出てしまう。それって苦しい。そう思っていた。
でも、最近気付いた。
平成も終わりに近づいていた頃、メッセージをやり取りさせていただいた方がいた。まだお会いしたこともない方。顔見知りではないからこそ、丁寧に丁寧に、言葉を並べた。
そんな行為を繰り返しているうちに、あぁ、私って、言葉を綴ることで、自分に素直になることができるんだな、って改めて感じた。
そして、なんとなくセンチメンタルな気分にもなったんだ。私、平成時代、私を生きてたのかな、って。
いや、物理的には生きてるんだけど、私が私を生かしてなかったな、って。
だから、令和は、私を生きる、そう決めた。でも、平成の自分を捨てる、ということではない。平成の自分が決して幻想の中にいたわけではないし、平成の私は、私を通して、確かに存在していたのだから。
私を生きる、私にとっては、難しいテーマ。だから、まずは、ブログを通して、自分とちゃんと向き合っていきたい。
令和発。